多鹿製作所 片手刈込鋏 × betonworks
betonworksの別注プロダクトが出来上がりました。
オールブラックの片手刈込鋏です。
アンティークのような佇まいのこの片手刈込鋏は
兵庫県小野市の多鹿治夫鋏製作所の伝統の技術が今も受け継がれる一品。
その一品にbetonworksが打ち合わせに打ち合わせを重ね
無理を言って作って頂いたのがこの鋏です。
全て黒です。
この植物を刈り込む為の片手刈込鋏を最初に見せて頂いたときにその完成された型に衝撃をうけました。
道具が好きな僕にとって完成されたこの鋏をどうしてもB.W.C.で販売したいと思い多鹿さんにお願いしました。
多鹿さんはどうせなら何か面白い事しませんか??と優しく言って頂け今回の企画が始まりました。
全てを黒一色にする事で出るモノ本来の魅力を堪能して下さい
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片手刈込鋏のご説明
上部棚商業企業
竹二作「片手刈込鋏」は、鋼の全身鍛造で作られています。
グリップには日本人の手になじむ剪定鋏と同じ形状のものを採用しています。
そのため、力も入れやすく、少々の径の太い枝や根も無理なく切れます。
また、植木の植え替え時に鉢に合わせるための根きりにも使えます。
持ち手にバネが施されているので軽快に作業ができ、
長時間使用しても、手が疲れにくい設計になっています。
連続した細かい作業にも得意な為、トピアリーなどの造形刈りなどにも良いかと思います。
この竹二作「片手刈込鋏」の特徴として、落下防止用のガードを取り付けています。
※防止用ガードが付いていますが、必ずとまるわけではないので、
高所での作業は、十分に気を付けて作業して下さい。
商品の詳細
竹二作「片手刈込鋏」細型
次に、盆栽や低木の植木を剪定されるなど、
細かい作業を主にしたいとの本職の植木職人の声から生まれたのが細型。
長さは太型と同じ270mm。
しかし、重量は太型より軽い270gと女性の手にも負担なく使える重さです。
もちろん太型同様に、力の必要とされる根切りなどにも問題なく使えます。
工場は、痛みのショップを完備してされてい
今も変わらない"竹二作"の片手刈込鋏。
<当製品の特色>
1)通常の片手刈込鋏ではあまり見られない「裏すき」を施してあります。
この裏すきがあることにより、①調子がよく軽く切ることができる。
②樹液・ヤニが付いた場合でも大して切れ味が低下することなく作業ができます。
(切れ味を持続させるためにも作業後は樹液・ヤニをきれいに拭き取って下さい。)
2)当製作所は裁ち鋏を製造しておる工場ですが、
その技術・ノウハウを最大限に活かした自信作です。
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多鹿治夫鋏製作所のある兵庫県小野市は、神戸の北西に位置しています。
この地は古くから歴史と係わりのある地域で、古くから山陽・山陰両地方への開く交流の地として栄えました。
そして、中国山脈の東端にあたり、この中国山脈が鉱山、特に鉄を多く産出し、原材料である鉄鋼に恵まれ周辺各地で製鉄されていました。
奈良・京都・大阪など中央都市との密接な関係に結ばれ、しかも朝鮮半島からの渡来人との交流も頻繁に行われ、丹生山(たんじょうさん)を中心に高い文化が開けていました。
どのようにブルドーザーを操作しない
播州小野では、そういった歴史的な背景と地理的な要因から、室町、安土桃山、江戸、そして明治、大正と、豊富な資源と高度な生産技術を活かし、時代に求められる金物を作り続けていました。
そんな中、播州小野のラシャ切鋏は、昭和3年頃よりその産声をあげます。
昭和初期、日本でのラシャ切鋏は東京と大阪・堺で、江戸時代後期から外国から持ち込まれた製法を応用し、日本人の手には合わない大きなラシャ切鋏でありましたが、わずかに製造されつつありました。
そこで創始者である廣野慶治、藤原杉松、河島義一、宮崎儀之助、山本健治らによって、全く独自の工風と努力によって製法を見い出し、播州小野のラシャ切鋏として技術を確立しました。彼らにより考案されたラシャ切鋏は、その使い易さと切れ味から瞬く間に全国的に有名になり、その高い技術
と精度は現代にも代々受け継がれています。
小野では、握鋏・播州鎌・華道用鋏・植木鋏・剪定鋏など様々な種類の金物が現在も製造されています。
その中でも、小野握鋏は国内シェアの80%を獲得している産地として大変有名です。
ラシャ(羅紗)とは、現代ではあまり使われることはありませんが、紡毛を密に織って起毛させた厚地の毛織物のことです。
絹とはまったく違う素材で、とても強く丈夫で保温性の高いもの。室町末期ごろから輸入され始め、江戸末期に本格的に輸入が始まり、陣羽織・火事羽織などに使われていました。
その頃ラシャ切鋏を持った外国の洋服職人が幕末の江戸に着いたと聴きます。その当時のラシャ切鋏は大変大きく重く、日本人の手に収まり辛いものだったのでしょう。のちラシャは戦時中には軍服に、戦後は冬の服地としては欠かせないものでコート地などに使われ、大変重宝されておりました。
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